先月25日、隣町である平生町の佐賀方面をウォーキングしました。スタートした元佐賀公民館は日曜日のため誰もいませんでした。スタートする前に、この地区で発掘された縄文遺跡である岩田遺跡について皆さんに説明しました。山口県では縄文遺跡が少ないのですが、岩田遺跡はその中でも貴重な遺跡で、当時の主要な食べ物であったどんぐりの貯蔵庫が見つかっています。そんなお話をした後、次の史跡に向かってウォーキングしました。
岩田遺跡の石碑 大師堂隣の足摺地蔵 藪・大田地区に向かう
岩田遺跡の次に、近くの大師堂に行きました。この大師堂周辺に安置された八十八体のお地蔵様の説明をしました。そのお地蔵様の中で、大師堂の隣にある足摺地蔵を案内しました。このお地蔵様の名前通りお地蔵さまを撫でた手で足をさすると足が良くなるのだとか。多くの人が触るためでしょう、お地蔵様の触った箇所が黒く艶があります。続いて、川を上って藪地区と大田地区に向かいました。
藪地区の集会所 集会所内を見学 集会所のお地蔵様
藪地区の集会所を訪れました。下見ウォーキング時に見逃していた集会所です。集会所内には立派なお地蔵様が安置されていました。おそらく大師堂などのお堂が維持できなくなり、ある時集会所に移し替えたようです。また、この集会所前の広場では盆踊りが行われていたそうで、踊られていたのは嵯峨音頭と平生音頭だったそうです。集会所の裏には、七夕で使われたと思われる竹飾りが置かれていました。
木々のアーチをくぐり抜けて大田地区に入る
藪地区を出ると、次に大田地区に向かいました。アーチ状になった木々を抜けると、大田生活改善センター(大田大師堂)はもうすぐです。なお、大田大師堂は3年ほど前に訪問したことがあります。
下見時には大師堂に入ることができまんせんでしたが、今回は入ることができました。ありがとうございました。入ると、中に安置されたお地蔵様を拝みました。この大師堂、月に1度お大師講のおつとめ「般若心経などの読経」などのしきたりが残っています。
大田大師堂内に安置されたお地蔵様を拝む
江戸時代から続く文化遺産であるお大師講などの講が残っている地域は、田布施町や平生町で数ヶ所しかありません。今お大師講を守っておられる方々は高齢な方ばかりです。あと10年か20年後には確実に講が絶えるのではないかと思います。数百年の時を超えて伝えられた文化が絶えるのは残念なことです。いつまでも続いて欲しいと思う私のような人すらいなくなる時が来る、と思うと悔やまれます。
大田生活改善センター(大田大師堂)を出る 魚見地区に向けて下る
なお、大田大師堂は防陽八十八箇所霊場の第十九番札所でもあります。その昔は、霊場巡りをする巡礼の方々が行列になって来ていたそうです。その方々にお接待を差し上げたそうです。そのお接待の名残が残っています。お大師講の時に集まった方々は、各自お菓子などを持って来るそうです。お大師講のおつとめ時の念仏後にそのお菓子などを分け合って持ちかえるのです。元々は巡礼する方々へのお接待が、巡礼が絶えた今おつとめする自分たちへのお接待になったのではないでしょうか。
続いて魚見地区に向かいました。
大田地区から海辺の魚見地区に向かう途中
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平生町 佐賀~魚見~黒羽根~小郡ウォーキング(1/x)
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