桃の袋かけをしました。去年は、山口県に帰ってからすぐのこともあり、実がだいぶ大きくなってから訳も分からずに袋をかけました。今年は、去年よりは時期を早めに袋かけをしました。そして、小さく育ちが悪い実をすべて摘果しました。大きめの実だけを選んで袋をかけました。
青空の元、暖かい春の日差しを浴びながら桃の袋かけ
ただ去年は、桃の木の背が高くて手が届かない桃がたくさんありました。そのため、背が低くなるように剪定をしたのですが、剪定し過ぎたのか新芽が多くありませでした。去年よりは全体的に葉が少なくなりました。ただ、剪定した幹の付近から新たな芽が出ていたので、今年中には回復するのではないかと思います。
一つの枝に一つの実だけ残す 桃の幼果を袋で包む
さて袋かけの方法ですが、一つの枝に一番大きくて色が良い実を一個だけ残しました。他の実を残すと、互いに栄養を奪い合うのではないかと思います。このため、袋をかける実以外は全て摘果しました。市販の桃用の袋には細い針金が入っています。丁寧に袋をかけた後、袋を閉じて針金で枝に袋を固定します。さあ、今年は美味しい桃を収穫できるでしようか。
桃を袋に入れて枝に固定 桃園(1958年頃)、私(上),父親(下中)
父親の両側は農業研修生
子供の頃に我家は小さな桃園を経営しており、全国から父親の元に農業研修生が来ていました。研修生達は父親の元で、林業,桃園,米麦作,酪農などを学んでいました。当時は農業の機械化が始まった時代でしたので、先進的に取り入れた耕運機などの農業機械も教えていたようです。彼らが数ヶ月泊まることができる宿舎が我家に隣接してあり、私の家族と研修生達は一緒に生活していました。その小さな宿舎は今、物置小屋になっています。
今の時期、家族,親戚,そして研修生総出で桃の袋かけをしていました。袋をかける前日、新聞紙を切って桃にかける袋を何百枚も作りました。袋にするために使う糊は、ご飯粒を溶かして作ったように思います。また、袋を枝に固定する針金はどこかで購入してきました。
その頃、一番楽しかったのは、桃の袋かけが一息ついた時の昼食です。みんなが桃の木陰に集まって、重箱を広げてご馳走を食べました。みんなの和やかな笑顔を思い出します。子供の私も桃用の袋を作ったり、桃の袋かけを手伝ったことがあります。しかし、その方法をすっかり忘れてしまいました。今、一から覚え直しです。
ところで、私の祖父(父親の父)は、この頃牛を使って農業をしていました。ベテランの牛は農作業がとても上手です。しかし、若い牛は農作業が下手です。田んぼの代かきが始まる前、若い牛を田布施川の中州に連れ出して農作業の練習させている光景をよく見かけました。祖父と祖母は一つ屋根の下に牛と一緒に生活しており、牛をとても可愛がり大切にしていました。
一通り桃に袋をかけ終る、低く剪定したため去年よりは楽
話が変わりますが、私は大学卒業後約30年間は会社員として,その後約10年間は病院で専門職として、家族を養うために又会社を通じて社会に貢献するため、どんなに辛くとも仕事を続けてきました。
定年後の今、子供たちはすでに独立しており養う必要はありません。これからは、自分自身や家族,仲間,そして地域のために、自分に合ったペースで楽しく仕事をしようと思います。桃園は私のささやかな楽しい仕事の一つになりそうです。もし、うまく桃ができるようになれば地域の方におすそ分けしようと思います。
2本の桃に袋かけを終わる、向こうの茶色はビワにかけた袋
ところで、桃とビワの隣りにスモモの大樹があります。今年も実が収穫できそうです。桃の幼果は産毛のようなものが生えていますが、スモモの幼果はツルッとしています。桃はいろいろな害虫が狙っていますが、スモモは害虫の被害がほとんどありません。その赤いスモモの黄色の肉果はとても美味です。今年もたくさんのスモモを食べることができそうです。
スモモの大樹、そろそろ剪定要 ツルッとしたスモモの幼果
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桃の幼果に袋かけ、スモモの幼果
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